この曲を聴くと、夕空の暗い杉の森を抜けた先にたたずむ、白い二階建ての洋館をいつも思い出します。茶色の木の重く大きな扉の、真鍮製のノブに手をかけて中に入ると、夕陽が差し込む部屋の奥に一枚の大きな油絵がかけられています。いったいどうしてこんなイメージがわいてくるのかよくわかりません。幼いころに観た「名曲アルバム」か何かの影響なのかもしれません(そういうシーンありそうでしょう?)。
クラシック音楽は、言わずと知れた西洋の、とりわけフランス・ドイツ・オーストリアの音楽です。しかし不思議なことに、たとえばベートーベンの『第九』を聴いて、僕らが異国情緒を感じるか、と言われれば、そんなことはないような気がしませんか。クラシック音楽が最盛期を迎えた頃―――つまり、江戸時代の日本の長唄や箏曲などよりも、僕たちはクラシック音楽に慣れ親しんでおり、200 年以上前の音楽であるとか、バッハと徳川吉宗が同い年だとか、日本から 1 万キロ離れた土地の音楽だとか…そういった時間や場所の問題から超越した存在として、クラシック音楽に普段触れているとは思いませんか。
しかしこの『展覧会の絵』という組曲は、僕にとって時間や場所を超越した存在であったはずのクラシック音楽というものが、やはり異国の音楽なんだということを再認識させてくれる数少ない曲なのです。いったい何がそうさせるのか…ムソルグスキーがロシア人だからでしょうか。いや、そのことを知る前から、この曲には特別な情緒を感じていたはずです。音楽についてそれなりに学んだ今、こうしてこの曲に向き合ってみると、この独特の変拍子と素朴なメロディーが、のびのびとした牧歌的な印象を与つつ、同時に和音の進行は不釣り合いにたそがれた厳かさを演出しており、この二つがミックスされて…う~ん難しい。
今回、依頼を受けてこの曲を金管十重奏に編曲しました。もうお聴きになってらっしゃる方も多いと思いますが、この記事の最初にある、灰色の再生ボタンをクリックしていただくと、演奏が始まります。演奏はおなじみの森合ブラス 😉 です。
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