僕が卒業した、土浦二高の吹奏楽部の定期演奏会を観に行きました。卒業からすでに 11 年経ち、ステージの上に乗っているのは、見ず知らずの、僕の教え子ぐらいの年齢の高校生たちだけ…かと思いきや、見知った顔の方(僕と年齢の近い卒業生)がちらほらいらっしゃるので、驚きました。
僕の卒業後、母校の吹奏楽部で長年顧問を務められた阿久津先生が、今春転任されました。新しい顧問の先生は、それまで副顧問を務められていた方ですので、顧問の交代はスムーズに行くものかと思われましたが、数人の生徒が部活を去っていったそうです。ステージ上の卒業生たちは、そのためのピンチ・ヒッターだったというわけです。
さまざまな音楽性と人間性が入り乱れる吹奏楽団には、制限や制約がたくさんあります。優秀なスタープレイヤーを育むことよりもボトムアップが求められ、次々と生まれてくる意見の対立をひたすら調停して…とにかく我慢の連続です。若い高校生たちにとって、これほどフラストレーションのたまる場所はないでしょう。飛び出して行く生徒の気持ちもよくわかりますし、こんな環境で意見の衝突を起こさないようでは、かえって情熱が足りないとも言えるかもしれません。
名盤と呼ばれる、名演奏の録音があります。同じ曲にはたいてい複数の名盤があるもので、ネットの音楽配信が普及した昨今では、簡単に聴き比べることができます。実際にそれを行ってみると、異なる名演奏の間には、相違点よりもはるかに多くの共通点が見つかります。良い演奏とは案外、型にはまった演奏であると言うことの証左でしょう。我々平凡な演奏家にとって、良い演奏をするためになすべきことは、名盤の共通点を整理して楽譜にまとめる事務的な作業と、それをひたすら繰り返して習熟する訓練の二つだけです。全国大会を目標にしようがしまいが、日々の練習でやるべきことは、結局ただそれだけです。そしてそれこそが、平凡な我々の演奏技術を向上させ、最大の喜びや楽しみとなりうる部分なのです。
部活の内部にどのようなことがあったのか、僕はうかがっていませんが、練習にたどり着く以前の部分でもめてしまっているのだとしたら、それは本筋から外れた話で、残念なことだと思います。かく言う僕自身も、高校生時代には「合奏の仕方が悪い」だの「練習時間が足りない」だの「そんな曲は嫌だ」だの「そんな演奏会はやりたくない」だのと言って議論を起こし、良い演奏をするための肝心な作業をおろそかにしていました。バンドが下手だったり、求心力が足りなかったりするのは、結局バンドのメンバーが、良い演奏を作る本当の喜びを知らないためなのです。現役生の皆さんが、プレイヤーとしての本分を理解して、日々の練習にまい進される事を、心から願っております。
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