家庭教師を雇うときに、「勉強のしかたがわからないので、教えてほしい」とおっしゃるご家庭がたくさんあります。「勉強のしかた」が意味するところはそのご家庭によりさまざまなのですが、実際に指導が始まってみると、本当に「勉強のしかた」がわかっていない子どもに出くわすことがあります。
良い机と筆記用具、夏用にエアコンや、花粉よけの空気清浄機などを買い与え、適切な教材を揃え、塾に通わせ、ご両親が勉強を監督して、それでも成績が上がらないので、やむを得ず家庭教師を頼んでようやく発覚するのが、「ノートに何を書いたら良いかわからない」とか、「予習・復習って何?」とか、そう言ったごくごく常識的な勉強手法に対する子どもの無知だったりします。ご両親いわく「お前そんなこと常識だろ!」。
この「常識」と言うものが曲者で、僕もこの仕事についてはじめてこの種の困難を知ることになりました。多くのご家庭のご両親は、ご自身が子ども時代に「勉強しろ!」と怒鳴られ続けた経験を鑑みて、なるべく勉強について口出しを控えるように配慮していて、その代わりに、子どもたちによい環境を整えてあげようとします。そして、環境さえ整えば、ひとりでに勉強が進むだろうと考えています。お気持ちはよくわかりますが、その結果、勉強に関する常識のたりない子どもが育ってしまうことがあります。
この日の毎日新聞に、「『健全育成』のために」という斎藤環さんの文章が掲載されていました。その中に「くりかえし子どもたちに伝える大人がいなければ、『常識』にはなり得ないのだ」という一節がありました。まったくそのとおりと思います。特に子どもが幼いうちには、積極的に子どもの勉強にかかわって、基本的な常識が身につくように心がけていただけるとよいのではないかと思います。ご両親にその自信がないようでしたら、幼いうちから家庭教師をお呼びになるのも一つの手でしょう。
上の文章とちょっとベクトルの違う話になりますが、同じくこの日の毎日新聞には、「ヨコミネ式」の横峯理事長の言葉が掲載されていました。いわく、子どもというものは「競争したい、まねしたい、ちょっとだけ難しいことをしたい、認められたい」と思っているものなのだそうです。僕も全くその通りだと思います。「環境を整えてあげたい」というのは優しい大人心ではありますが、子どもの欲求はそれでは満たされず、むしろ「お友達の A ちゃんより自分の方がいい環境を持っている」なんていう「競争」や、「B ちゃんと同じロフトベッド付きの机が欲しい!」「C ちゃんと同じ電子辞書がないと勉強できない!」といった「まね」の方に力を注ぎ始める事があります。難しいですね。
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