「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という言葉があります。小さなころから親や学校の先生から言われ続けてきた言葉です。別に、僕はこれを忠実に守って生きてきたわけではありません。しかし、「ありがた迷惑だった」という結果を生むこともあったにせよ、比較的人に嫌われる役を買って出るところは、昔からあったような気がします。
一口に苦労と言っても、その中身は様々です。地味な作業とか、骨が折れる作業とか、そういう苦労がまずあります。実は僕はその手の苦労には割と耐えられる方で、一人で黙々と作業していろ、と言われるのはたいした苦ではありません。
逆に、もうごめんだと思う苦労もありました。それはとある団体のリーダーとして、スケジュールの調整をしていた時でした。皆が困るだろうと思って必死にやっているのに、いちいち返事は遅いわ、約束は忘れられるわ、挙句の果てにドタキャンされるわ…。どうしてこんなやつらを相手に、自分ばかり骨折り損をしなければならないのかと、よく思っていました。解散の時にも、貴重な人生を無駄にしてしまったような気がして、悔しくてなりませんでした。
最近、とある団体への加入を誘っていただきました。たいしたキャリアのない僕ですが、なぜか突然の抜擢を受けて、音楽クリエイターとして活動することになりました。指示通りの手続きを済ませ、アクセスした団内ネットワークで僕が見たものは、多数在籍しているメンバーと思いどおりに連絡がつかず、思案に暮れている代表の姿でした。
これはかつての僕と同じではないか、とすぐさま思いました。あの苦労と焦燥、憤りを代表が味わっているのかと思うと、胸が締め付けられるようでした。なるべく素早いレスポンスを心掛け、代表の連絡に不明な点があればすぐに問い合わせ、仕様がおかしければこちらでとりあえずの応急処置をし、そのうち聞かれるであろうことをあらかじめ予測して連絡しておき…すべて、僕が昔リーダーとして困っていた時に、こうしてほしかったとか、やってもらってうれしかった事とか。そういう事を率先してやってみることにしました。
「本当に助かるよ」と代表に言われたとき、人生を浪費したと感じたあの日の僕のリーダー経験は、まったく無駄ではなかったことに気づきました。正直なところ、僕はリーダーとしては 2 流以下で、団体が解散してしまったのも僕の器量不足によるところが大きかったのですが、そんな団体のメンバーたちが、気付かないうちに僕を育ててくれていたのでした。
Google などで「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と検索すると、「若い頃の苦労なんて、バカバカしいだけだ」「そんな話は時代遅れだ」という話がいくつも見つかります。買ってでもしろ、という論が正解かそうでないか、僕にはわかりません。しかし、つらい経験が人を育てるということは、全く確かなことです。
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