ヨークベニマルに行ったら、「伊達男プリン」という商品名の、巨大なプリンが売られていました。最近、グリコの「Happy プッチンプリン」という巨大なプリンが好評のようですから、そこに目をつけて出てきたのでしょうか。
大学時代の英語の先生の中に、事あるごとにイギリスを持ち上げては、それ以外の世界中のあらゆる国を徹底的にこき下ろすという、とんでもないイギリスかぶれの教授がいましたが、その彼をして「イギリスの料理はまずい」と言わしめるほどにうだつの上がらない同国の料理群。そんな中にある数少ない輝ける星のひとつ、それがプリンと言えるでしょう。
しかしこのお菓子(イギリスでは単なるお菓子ではなく、料理としてもプリンが作られる。ちょうど茶碗蒸しのような感じ?)、英語表記では「a pudding」になり、どう見ても「プディング」としか読めません。しかし明治以前の日本人は、耳に入った音をそのままカタカナで表記するところがありましたから、そう考えると確かに「プデン」や「プジン」、「プディング」などよりも「プリン」と発音したほうが、響きとしては近いような気はします。
『日本国語大辞典』によれば、作家たちの間でこの食べ物をどう表記するかには、だいぶ食い違いがあったようです。
- 夏目漱石「兄さん、其プッヂングを妾に頂戴」(行人)
- 里見弴「プディンかなんか出来ないの?」(大道無門)
- 堀辰夫「プディングを匙であぶなかしさうにすくひながら」(晩夏)
- 太宰治「私がお勝手で、プリンをこしらへて、それをお座敷に持って行ったら」(斜陽)
“The proof of the pudding is in the eating(プディングの味は食べてみなければ分からない)” というイギリスのことわざがあります。「実際にやってみなければそのものの真価はわからないということのたとえ(日本国語大辞典)」に使われるそうですが、この時代の作家にとってみれば「”pudding” のカタカナ表記は書いてみなければわからない」といったところがあったのでしょうか 😉 。
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